ごあいさつ 川端愛(いとし)牧師

私は1972年に三代目のクリスチャンとして大阪府堺市で生まれ、12歳の時にイエス様を信じ、洗礼を受けました。
然し乍ら、思春期になる頃から教会に行くことが嫌になり、とうとう27歳から31歳までの4年間は一度も教会に行くことがありませんでした。
当時の私は平日の朝から晩まで仕事に明け暮れ、週末になると友人たちと放蕩三昧の生活でした。経済的な自由も有り、端から見れば独身貴族を謳歌している青年に見えたことと思います。
然し乍ら、人からどのように見えていたとしても、私の心の奥深い部分では、いつも何の為に生きているのだろう?と生きる目的、生きる希望を求めていました。そのような人生の暗闇の中で、藁にもすがるような思いで再び教会に行った時、イエス様との個人的な関係が回復しました。イエス様によって生きる希望、生きる目的、生きる喜びが与えられ、今はキリスト教会の牧師としてイエス様を伝える者へと変えられています。
ごあいさつ 川端恵子
私は20代で希望を見失っていた時、不思議な導きでアルゼンチンの教会へ行き、クリスチャンになりました。
それ以前と以降で私の人生に劇的な変化が起きたことは言うまでもなく、自分さえも気付かずにいた心の傷や痛みまでも愛なる神様によって癒されて行きました。私はありのままの自分を愛してくださる神様を体験したことで、”このお方を私の大切な人たちにも伝えたい”と思うようになりました。
ジーザスハウスチャーチは、誰もが自分の家のようにありのままで受け入れられていることを実感できる居場所であって欲しい、そう願っています。
私が教会に来たキッカケ

ジーザスハウスチャーチに出会って
私が今、生活でなくてはならないジーザスハウスチャーチに来させて頂いたきっかけは、思い返すと神様の働きがなされた沢山の偶然が重なってだと感じています。余りにも自然な流れでクリスチャンの義母と共に聖書を学び始めたばかりだった私も毎週礼拝を受けるようなりました。
大きなテーブルを囲んでのメッセージの時間は聖書の物語をあまり知らない私が分からない顔をしていたら先生がそれに気付いて分かりやすく解説を入れてくださり、物語が身近に感じられ、また最後に自分の生活と結びつくようまとめてくださる為、毎週のメッセージがまるで自分の為に用意されたものなんじゃないのかと毎回感じております。笑(本当です。)
またメッセージの後に兄弟姉妹の感想や質問を牧師に尋ねる時間の中で、自分では気付かなかった新しい発見、物の見方があり、二重、三重に毎週恵まれています。
ジーザスハウスチャーチでの時間、また牧師夫人との一対一弟子養育を通して、自分は産まれる前からずっと神様に愛されている存在だったんだと気付く事ができ、日常生活の中でどんなに難しいことが起こっても日曜日に兄弟姉妹と共に集い、賛美しメッセージを頂けたら不思議と難しかった問題が良く変えられていると今実感しています。

私が教会に来たきっかけ
私は牧師家庭で4人兄弟の3番目の娘として育ちました。そのため、幼い頃から教会に行くことや聖書のお話しを聞くことは、私にとって普通のことでした。当時両親は多忙な日々を送っており、私は「中間子」ということも影響してか、人にも神さまにも忘れられがちな存在だと感じていました。
教会のメッセージでは「あなたは神さまから愛されている」と何度も聞いていましたが、実感としてそれを感じられてなかったのかもしれません。「〜先生の3番目の娘さん」ではなく、私を私として見て欲しい、認めて欲しい、という思いが強かったのだと思います。もし自分が誰から見ても「良い子の私」になれば、私を私として認めてもらえると思っていました。そのため、頑張って「良い子」の自分を演じ、自分の感情、思いを押し込めてしまい、本来の自分が分からなくなっていました。
そんな幼少期を過ごしていた私が、小学6年生で参加した教会の中高生キャンプで、イエスさまと個人的な出会いをすることとなります。
イエスさまが「私の罪」の身代わりのために十字架にかかって死んでくださったことが初めて分かりました。私に対する神さまの目線は、対「大衆の中の1人」ではなく、対「個人」であることを知りました。
そこから私の教会観が変わりました。「親に行かされている教会」から「私を愛してくださる方に私の意思で喜んで会いに行くことを選ぶ教会」になったのです。
現在クリスチャンになってから33年経ちますが、様々な成長過程で教会生活を息苦しく感じる時期もありました。が、不思議といつも変わらない安心がありました。今振り返るとそれこそ、イエスさまの側にいることで与えられていた安心、平安であったということが分かります。
日々聖書から神さまの言葉をいただき、神さまが私に願っておられることは何なのかに耳を澄ませ、従っていくとき、心に平安が与えられ、どんな中にあっても必ず祝福が与えられます。例え苦しみを通ることがあったとしても、後で振り返った時、神さまの「私個人」に対する愛の眼差しは決して変わることがないこと。それどころかどんな時でも「私」を諦めず、見守り続け、一緒に歩んでくださる方である神さまを賛美します。
これまでも、またこれからもイエスさまの側で安心して人生を歩んでいきたいです。
(詩篇23篇)

私が教会に来たきっかけ
皆さんは「教会の礼拝」と聞くと、どのようなことをイメージしますか?
日本で生まれ育った場合、通常であればキリスト教の教会に行くことはないので、とても敷居が高いと思います。また、もしかして強く入信を勧められるのではないか、壺やお札を買わされるのではないか、という未知のものへの不安や恐怖もあるかと思います。
正当なプロテスタント教会の場合それらのことは一切無く、毎週の日曜日の礼拝は世界中どこの教会でも、信徒達が毎週集まり神様への賛美を歌い、牧師先生からの言葉を聞き、お祈りをする時間となっています。その中で神様への感謝を表すという意味で、献金をする時間もありますが、するかしないか、また、献金の金額は一切私たち自身に任されています。
日本生まれ、日本育ちの神道文化で育った私が教会へ通うようになったきっかけは、海外生活中に日本人クリスチャンコミュニティへつながったことです。海外生活では、どんな人でも大なり小なり自分の母国をベースとしたコミュニティに属することになります。私の場合、運よく海外在住のクリスチャン達につながり、そのコミュニティへの参加をすると共に教会へ通うことになりました。
教会では、皆それぞれ月曜から土曜まで社会生活を送り、日曜になると教会へ戻り休息する、というルーティーンになります。教会に仲良しの友人がいる人もいれば、社会での生活が忙しく、礼拝が終わるとすぐに慌ただしく帰る人もいます。幼稚園生や小学生から、専業主婦やフリーター、大企業の役職についてる方やすでに退職された方まで、社会でのさまざまな役割を担っている人たちが、この日だけは神様の前に一人の人間として同じ場所で礼拝を捧げます。
どんな人でも、人間である限り弱さやどうにもできない心の傷を持っています。
それを癒してくれるのは、神様であり、イエスキリストだけであると私は沢山の個人的な体験を通じて知ることができました。社会でどんなに素晴らしい肩書きを持っていても、どんなに良い環境に恵まれていても、人間である限り、皆弱さを抱えています。1週間に一回、信頼する仲間たちと一緒に神様を礼拝することは、私にとっては傷ついた心を癒し、また勇気を持って月曜日から1週間、社会生活に出ていくための場となっています。
人間社会で生きていくのは難しいです。
人が生きていくには、健康、経済、人間関係などがある程度満たされていないと、大変苦しい思いをします。よく、「無宗教」を自称する友人などから「神様がいるなら、この世は何故こんなにも残酷なのか」などと聞かれます。
正直私にも分かりません。
また、クリスチャンになったから、と言って宝くじが当たって毎日悠々自適に暮らしたり、病気が完治して歩けなかった人が急に歩けるようになったり、ということは現代ではありません。(聖書の中には歩けなかった人が、イエス様の祈りによって歩けるようになったという奇跡も記載されていますが)「ご利益」がある宗教ではないキリスト教は、とても現実的です。
私自身、目の前に迫っている困難に、祈っても祈っても自分の思うようにはいかず、神様に文句を言うこともありました。けれども、聖書を学び、牧師先生の話を聞き、信徒の友人たちと話をする中で、どんな困難な状況でも解決の道があり、そのヒントを必ず、祈りを通して神様が教えてくれる、と言うことが分かってきました。
ヒントを聞くには、毎週礼拝に通い、神様に祈りを捧げ、自分の弱さに向き合う必要があります。
また、悩んでいることや困難なことを、社会での経験豊かな先輩クリスチャン達に聞いてもらい、信頼できる方達から実践的なアドバイスを聞くこともできます。
教会は決して怪しい布教の場、ではなく私にとっては困難な人間社会を生き抜くためのセーブポイントになっています。
今、この社会で大変な思いをしている方々にも是非教会にきていただいて、それぞれの方が社会に出ていくための力を蓄える場になればいいなと願ってやみません。
イエス様はいつも、いつでも私たちを歓迎してくださいます。
